内から発せられる問い

山中史郎君

ぼくらが仁井山でお世話をさせてもらうことになったマスカット・ベリーAの木がこの地に植え付けられた頃、青森とか名古屋とかあるいは東京とか、いろんなところからいろんな若者が「東京」に集まって芸術運動がおこった。

ぼくらが20年近く前(!)にお世話になった大学の恩師はさらにその30年以上前にそういう場所、時代を生きた映像作家やアニメーション作家で、 「東京」から「地方」に散らばった人たち、あるいはその「地方」で彼らの芸術運動を継承した次の世代の作家だった。

ぼくらはそうした2世代以上の層をなす彼らを師と仰ぎ学んだ。すっかり時代が変わった後の(東京のストリートではなく)京都のコンクリート学舎だったけど、諸先生方とほんのひととき同じ場所にいて、そう、ほとんどそこにいるだけで、身体内の文化的な遺伝子に影響を受けてしまったようだ。ぼくらの細胞は、自覚的に、あるいは意識下で彼らの作品、人、言葉、そしてその場所から照射された何か強烈な「線」に打ち抜かれたのだ。

ぼくらは幸か不幸か、そこで芸術運動を継承しなかった。大学を卒業する際にはその磁場からそれぞれの小さな動機で離れていった。しかし、20年ほど経った今もなお、こうして芸術運動の「低線量被曝」の影響を自覚している。

ぼくはそれを「地域農業」で表現せねばならないと思う。 なぜか。

今ぼくらがワインを作ろうとしている場所が、ぼくらがここに現れる前から、「実験映画」や「前衛芸術」、あるいはより今日的、一般的なアートや芸術、デザインを求めていたかといえば、それは明らかにノーだ。

一方で、ここで「地域農業」を志すのはなぜかという問いは決して消え去ることはない。なぜなら、その問いはここにやってきたぼくらの内側、変異した文化的、精神的な細胞組織から発せられているから。

「病気(地域の課題)」がアートや芸術で「治癒」されるかのごとく見せて、患者であるその地域に対し上から目線でそれらの必要性を説く輩が存在する。「地域にアート」「コミュニティをデザイン」というとき、大抵その主体は地域ではない。むしろその地域に居場所を求めている「我々」のほうなのだ。

仮に芸術が地域をよりよくする効能を持つとしても、それはぼくらがこの地域で生きようとすることと分けて論じることは出来ない。むしろ芸術に「病んでいる」のはそこで生かされようとしているぼくら自身なのだから。それはぼくらのための「クスリ」のようなものだ。その「クスリ」が地域にどのような作用をもたらすのか、無自覚、無責任でいいはずがない。

医療が行き渡り病気がなくなると医者は商売あがったりだが、医学が病気をいくらでも発見するので、実際には地域から病院がなくなることはない。国保税が値下がりすることはない。医療にはお金がかかるが、地域の準備できるお金に見合ったその分「恐ろしい」病気を発見すればいいだけのこと。

ぼくはアートや芸術、デザインが、地域でそのように振る舞うことを危惧する。

そう、寺山修司とぼくらが作ろうとしているワインには何の関係もない。ぼくらの「地域農業」でそれを証明せねばならない。

 

ps. 井原市役所での懇談会の日時は確定です。
バス、乗るなら今が安全!?
でも嫌な予感がしたら無理せず新幹線で!
交通費はナゴミカル農業協同組合の経費でつけといてね〜。

それと、Youtube : 寺山修司本人 のリンクが切れてたので、勝手に選んで直しておきました。(笑)

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