ぶどう栽培の本を買いました

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山中史郎さま

井原市立図書館でぶどうの栽培に関する本を探しました。ぶどうの産地ということでさぞかしたくさんあるかと思ったけれど、意外と少ない。

草生栽培で生かすブドウの早仕立て新短梢栽培 (単行本) 小川 孝郎

とりあえず、↑これを借りて読んでみました。結論から言うと、これひとまず教科書にしていいんじゃないかと。教科書というか、たたき台というか。というわけで二冊買っちゃいましたので、今度そちらにもお届けします。

青野のベリーAはずーっと前から今まで「短梢栽培」という方法が一般的ですが、それをもっと栽培しやすくした方法として「新短梢栽培」というのが紹介されています。「バージョンアップ」なら既存のぶどう畑で簡単にいけるんじゃないかと思ったけけれど、ま、そんなに甘くないわけで。

ぶどうの手伝いをしてきた経験からするとなかなかいい栽培方法だなと感心しちゃいます。史郎にとってもなるほどって思うところ、「風景」のヒントになるかもしれない。

ただ、この本は10年ぐらい前に出版されていますが、青野のぶどう畑でこの方法に切り替えている畑は見かけたことがありません。本を持って八二五に行って考えてたら、青野で広く採用されない原因がいろいろわかってきました。

まずは、すでに成木になっているぶどうの木にこの方法を適用することはとても難しそう、というか、できないと思う。
それから、そもそもぶどう棚の間隔が220cmぐらい必要なように書いてあるけれど、実物を測ってみるとこのあたりは180cmぐらいが主流で、本の通りにするならば、ぶどう棚の大規模な改修工事が必要になる。あのコンクリートの斜めの棒を50cmぐらいずつ移動させなきゃならない!
ということは、新しい木に植え替えて一から育てるにしても、それが畑全体でなければ工事できないというわけ。

今は青野でも品種の切り替えってことで植え替えすることは頻繁にあるけれど、いっぺんにやっちゃうと収入が無くなっちゃうから、実際には何本かずつ徐々にやるのが普通。その結果青野中のぶどう畑はモザイク状にいろんな品種が植わっているらしい。普及センターの先生がおっしゃってました。

幸い八二五の畑は棚だけで木は植わってない。だからなんとか、大変な工事なしで「新短梢栽培」とやらができないかなと、今年に入ってあれこれ考えました。で、基本案はまとまりつつあります。細かいところはまた八二五の畑で相談しましょう。

そうそう、苗も買ったんです。これについてはまた今度。

2012年ナゴミカルな出来事まとめ【後編】

2012年6月 もうひとつのぶどう畑

八二五(はちんご)と呼ばれる場所のぶどう畑を借りられることに。うちの農地に隣接していて、以前からここでぶどう作れたらなと思っていたところです。何も植わってなくてぶどう棚だけ。ゼロからのスタートにはいい畑です。

2012年8月 井原市企画課にワイン特区申請を申し入れ

お金のことともう一つ、井原市がワイン特区にならないと、現状ではワイナリーのハードルは高すぎるので、これも実現させたいところ。井原市農林課に相談すると「特区の申請は企画課」ということで、史郎も同席して熱く語りました。

市役所の会議室。農林課と企画課。

「10月に国が特区申請を受付するので、その時が来たら連絡します」と企画課の方。
ぼくは、この言葉を「申請したらお知らせします」といわれたと思い込みます、10月まで…。

2012年9月 中国四国農政局に相談

3月の初会合がどうにも納得行かず、あれこれ考えて日が暮れて。ついに、国の出先機関である中国四国農政局に、「人・農地プラン」について相談しました。何度かメールをやり取りする中で、ぼくのほうから

「農業で集落を潰すのではなくて、農業で集落を守るのが「人・農地プラン」の目的ですよね?」

と確認したところ、それに対して担当の方からは、

「あくまでも、プランを作るのは集落の方々です。農家の方々が主役であり、市役所はその計画づくりのお手伝いをしています。集落の意向が集落単位であれば、相談に応じてくれると思います。」

という返答。

また、広域な例えば複数の町をまたがるような「人・農地プラン」については、

「国の基本的な考え方、私、個人としても、プランの作成の範囲は、集落若しくは複数集落がベスト」

とのこと。

仁井山地区の「人・農地プラン」つくりたいなあ。もう、お金云々は置いといても。

 

2012年9月 岡山県産業振興財団「きらめき岡山創成ファンド支援事業」

応援してくれる方から情報をいただき、なんか場違いかなと思いつつ、岡山県産業振興財団「きらめき岡山創成ファンド支援事業」の説明会に参加。「地域産業資源活用・域外への発信事業」にいくらかお金を出してくれるということなので、

「ぶどうの産地にワイナリーを作りたい。技術を得て話を進めたい。そのためにお金が必要。」と説明すると、

「まわりの巻き込みが足りないんじゃないですか?例えば、ワイン用ぶどうを作る農家の組合を作るとか。というか、地域の資源を活かして儲けていただきたいわけですから。」

「あんたその学力でこの学校受ける気?」みたいなことを入試説明会で言われちゃった感じかな。まだ幼稚園にも行ってない赤ん坊みたいなものなので泣くしか無いです。今は精一杯泣きます。

2012年10月 土地改良区の理事長に相談

どうすれば「地域」に、ナゴミカルがこれからこの集落を農業で支える者として認められるのか。

両親に、まず近所の誰に相談したらよいか聞いてみました。

最終的に「人・農地プラン」に太鼓判を押すのは「検討会」なる組織。
検討会は「地域農業再生協議会のメンバーであるJA、農業委員会、土地改良区等関係機関のほか、大規模個別経営、法人経営者、集落営農の代表者等が出席し、そのうち概ね3割が女性」という条件で構成される。

両親と作戦会議して、母の同級生(元市議会議員、現在、土地改良区の理事長)が仁井山地区に。ならば、彼に話をして、彼に仁井山地区の農業者を集めてもらって「人・農地プラン」の話をする機会を持つのがよかろう、ということに。

早速電話して、相談のアポ。後日、ご自宅に伺って、4時間話しました。うち3時間45分は彼の10代の時から70歳現在までの仕事についていろいろ聞かせて頂きました。最後の15分、ぼくは自分のワイナリー構想を話しました。彼はこう言いました。

「青野でワイナリー?無理無理。」

それで彼との話は終わり。いろいろ興味深い話はたくさんありましたが、ぼくはなんか地域のいろんなものが一気に見えてきた感じで、この時点で〈経営開始型〉の支援を受けることをひとまずあきらめました。「給付金」のために動いても「地域」は動かない。「自分だけいい思いをしようとしている」と思われるのが関の山。

2012年10月 岡山農業普及指導センターに相談

さて、それでもしつこく青年就農給付金。

〈経営開始型〉とは別に〈準備型〉というのがあります。「地域」ではなく「個人」です。受入機関(JAや先進農家)に研修に行って、その研修期間(2年間)に給付するというもの。青野の場合は、岡山県がJA岡山西を受入機関として指定しています。
3月の会合では、井原市農林課の方が「まずは、青野の標準的なぶどうを作れる農家になってもらってからがいいんじゃないですかね」といわれていました。それがこの〈準備型〉のこと。遠回り過ぎるというか、〈経営開始型〉じゃなぜダメなんだと思っていたので3月の時点ではスルーしていました。が、地域が絡む〈経営開始型〉は行き詰まったので、じゃあ個人が対象の〈準備型〉でいくならどうするか、どう出るかと考えました。

まず事実。青野地区ではサッポロ岡山ワイナリーにワイン用ぶどうとしてのベリーAが出荷されています。これはJA岡山西とサッポロ岡山ワイナリーの契約によるものですが、とにかく「青野地区でワイン用ぶどうは栽培されている」。研修受入機関であるJA岡山西で青野でワイン用ぶどうの研修は可能じゃないのか、と。

そこで、岡山県農産課に電話。「地域にワイン用が栽培されている実績があるなら、可能性はあると思うが、具体的な相談は岡山農業普及指導センターに」とのことで、すぐに、普及センターにアポを取って乗り込みました。

「いい夢を描いておられますね。応援しますよ。」話のわかる担当の方(3月の会合の時から異動があって初対面)。

「しかし、研修の条件や内容は受入機関が決めることなので、希望通りの研修が受けられるかどうかはわからない。」
「いずれにせよ、〈準備型〉の話として、井原市農林課へ連絡します。」

2012年10月 井原市役所で会合

まもなく、井原市農林課から連絡。会合には、井原市企画課、農林課、岡山農業普及指導センター、ナゴミカルの4者。

まず、企画課から「ワイン特区の件ですが、1月に申請する予定で」。えっ?今日は「申請した」って話じゃないんですね…。さらに「これからの計画を書いて欲しい」と。それいうだけなら、もっと早く、電話とかで言って欲しかったな。対応がちょっと間延びした感じがする。特区申請したくないのかな?ひとまず「すぐ書きます。」

次、農林課。「〈準備型〉の件ですが、研修は最短で平成26年度から」 え、次の春(平成25年度)からじゃあないんだ・・・。
加えて、普及センター。「〈準備型〉から〈経営開始型〉への連結は平成25年度内で」「平成26年度以降の連結は予算が決まってないので約束できない」・・・じゃあ連結などできないということになりますね。
さらに、研修期間中に農産物(や加工品)を販売すると就農しているとみなされ給付金は遡って返納!つまり、研修中の2年間、農業での収入は得られない。

〈準備型〉の給付金(150万/年)だけで事業の〈準備〉は当然できないし、それで家族を養えるわけもない。
そこで質問。

「現在の仕事も少し続けながら兼業状態で研修を受けざるをえないのですけど、例えば週7日のうち金曜日だけ今の非常勤講師の仕事をして残りの6日間で研修を受けるというのは可能ですか?」

農林課「研修の受入機関が認めるかどうか。」

ひとまず頭真っ白で、この日はお開き。

後日、農林課「研修の受入機関であるJA岡山西から〈副業は認められない〉との連絡がありました」。

さて、これで、今年度と来年度、行政の新規就農支援の条件をぼくらが満たせないので受けられないということが確定です。

まとめると、現在の行政の就農支援というのは
「(このご時世に)500万~1,000万ほどの2年分の生活資金と就農資金を余分に準備できる人」
を対象としているようです。例えば、団塊の世代が当てはまります。

いったいどういう人たちがこの就農支援の制度を設計し現在の形にしたのでしょう?

2012年10月  「畑を返してほしい」

農薬やめてみなはれ、ビニール張るのやめてみなはれ、というぶどう畑ではぶどうができないと思っているぶどう農家さんは地域にたくさんいます。というかすべてかも。で、そうした人がナゴミカルのぶどう畑を見て(あーあ、だめだこりゃ)と心のなかで思ってくれてる、だけなら何にも問題なかったのですが、

「あんたのぶどう畑、わやじゃ」(※わや=めちゃくちゃ)

というようなことを、あろうことか、ナゴミカル本人ではなく畑の持ち主にいう人がおったそうでして(それが誰かは知らされず自作自演の可能性も無くはないのですが)、とにかく、みんなと同じにせず波風立てることを良いと思わない習慣に生きている人たち、ま、言う方にも言われる方にも免疫がないのでしょう。

「畑を返してほしい」

と、持ち主より、人づてで伝わって来まして。人というのは応援してくださっている市議会議員さん。力を持っている人の使い方については、昔からの田舎の人は心得ている。なるほどこれが「地域」なのだな。

こちらのエントリーのように、マスカット・ベーリーAを300kg収穫の予定が30kgしかありませんでしたが、なるほど、ゼロにはならないのだとしっかりと学ばせていただきまして、ゴミを拾って、お返ししました。

持ち主の方、ずいぶん傷ついておられるようで、冠句にまで詠んでおられました。かわいそうに。

しかし、この秋は色々ありました。まさに収穫期、大豊作です。

2012年12月 「青野ワイナリー構想」

企画書(青野ワイナリー構想)を井原市企画課に提出しました。いろいろと相談にのってくださっている市議さんと部会の方にも同じものを。

以上、2012年のまとめをしてみました。
事を始めるにあたって利用できる制度は利用していけばいいと思っていろいろ動きました。お金は得られなかったけれど、動いたことでコンセプトがかたまりました。さ、これからです。