魅せる農業。脱・緑色のファクトリー。そしてヨーロッパでは雑草が生えません。

仁城さん
朝は5:30から3時間弱。日中の日差しが強くなると、Macに向かって企画書を作ったり。取材に行ったり。日差しが弱くなりはじめたら、またしばらくぶどう畑で農作業。そんなこんな5日間、毎日ぶどう畑に入った訳だけれど。

いや。本当。雑草ってすごいよね。野蛮だよね。パワフルだよね。草刈機って頼もしいよね。ちょっと油断すると荒れ放題。羊とか、やぎとかの草食動物をぶどう畑に放し飼いにしたら、むしゃむしゃ雑草食べてくれる訳?こんなにボーボーにならない訳?

今回5日間連続でふどう畑に入った事での気づき。僕たちが手に入れたこの1アールのぶどう畑が、今僕たちがやろうとしている方向と一致していない事。この畑ってさ。完全に人間が手中に収めてコントロールしようとしている畑だよね。

ズバリ。エントリーのタイトルどおり、この畑は『緑のファクトリー』でしかないと。それ以上もそれ以下もないと。生産至上主義の畑なんですと。誰も訪れる事のない閉ざされた緑色した盲目ファクトリー。

僕たちは、行政を巻き込んで、地域を巻き込んで、ワイナリーを作ろうとしている訳で、決して『緑のファクトリー』として地域を復活&活性化させたい訳ではない。自分達のぶどう畑に、いろんな人に訪れて欲しいと思っています。

『見せる 魅せる ワイン畑。』

僕が大阪に戻る当日。Googleで『bordeaux vineyard』って検索したみたけど。検索結果の画像に嫉妬しましたね。フランスボルドーのワイナリーも『緑のファクトリー』だとは思うんだけれど、それだけではない。ワイナリーは文化だから。ファクトリーじゃないから。人が来ても、飽きない、恥ずかしくないぶどう畑を目指していいるんじゃないかな。いつかはボルドー迄視察に行きたいな。

311以降、地域やまちづくりのあり方に世の中がフォーカスしている感があるけれど、もう昔の様なぶどうだけを作るっていうのはダメ。文化を作る。人が営む風景から地域を作る観点がないとマズいよね。ねっ?JAさん。いつまでもモノを作ってるだけではダメなんですって。

いずれにしても人に魅せるワイン畑。これキーワードです。

追伸)『ヨーロッパには雑草が生えない』昔なんかの機会に聞いたことがあって、今回の仁城さんのエントリーでちょっと気になって確認してみだんだけれど。『風土―人間学的考察  和辻哲郎』この本の中に、ヨーロッパの雑草について書かれています。面白そうでうでしょ。早速amazonで購入しました。戦前の本です。日本はモンスーン気候だから、絶えず自然・湿度と隣合わせに生活していかないといけない。かたやヨーロッパの気候は牧場型で、イギリスのガーデニング文化しかり、ボルドーのワイナリーしかり。人間が自然を手中に収めることができる。それは自然が穏やかだから。

さて僕たちのワイナリー。それを踏まえた上でやるのも悪くないと思っています。いかがですか?

「シェア」と「消費」の間

山中史郎くん

先日の家族ぐるみの京都・大阪旅行では、お世話になりました。

帰ってみると、ここ数日の天気の良さで草がすごいことに。。。
畑に入れません(笑)

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”無知をおそれてはいけない。 いつわりの知識をおそれよ。 ”この言葉を誰に捧げようか。

Image:ジャン=レオン・ジェローム [Public domain], via Wikimedia Commons

仁城さん

随分と投稿の時間が空いちゃいましたね。 実はココだけの話、前回の仁城さんのエントリーで 『ナゴミカル往復書簡第一部終了』って感が 自分の中で芽生えてしまって。 仁城さん綺麗にまとめちゃうから(笑) そんなこんなで自分の中で第二部が始まりました。

さて。 ジベレリン処理しなくても実がちゃんと 成ることはわかったんだ。 しかもうれしいことに種ありだよね! 触れ上がった房を間引きするする必要もないんだよね。 ビニールをしなくても 病気の心配もなく成長していることがわかったんだよね。 これらの慣行的な農法をやめちまった事で なにがどう変わったの? 慣行的な部分を疑う余地ってあるよね?

この前『たまたま』テレビ点けてたら、 鹿島茂氏と福岡伸一氏が出ていて パスカルっていうフランスの哲学者について 話していた。 こんな番組。 福岡伸一氏って生物学のスンゴイ人なんだけれど、番組でこんなこと言っていたのね。まとめると、

人間誕生のプロセスってその細胞分裂がすべてプログラム化 されているという考え方がある。生まれながらにして脳になる細胞とか、 皮膚になる細胞とか。でも一方では、その場その場で空気を読み合って発生的にできるとする方が本当の自然の見方でしょうと。

ってそんなことを最先端で活躍する人が言っちゃう。 鹿島先生なんかは、「科学が万能じゃない、ということを理解することが科学だ、みたいなことなの」と。 「理性の最後の行動は理由を越えるものが無限に存在することを認めることである」と。

「世界には複雑な要素があまりにも多くて、 全ての因果関係を突き止めることは不可能である」と。 「人間には分からないことがある”という事実を前に、 人間のおごりをいましめたのがパスカルなんです」と。

パスカルだらけになっちゃたけど。(笑) 普段全く観ない『たまたま』観たテレビ。 この5年10年はパスカルでいけると思ったね。

ジベレリン処理をやらない事も、ビニールを張らない事も、 美味しいワイン作りというビジョンがあったというよりかは、 いろんな複合的な要素から『たまたま』そうなっちゃった。 って言う方がしっくりしてます。

『先祖代々脳だから』っていうのは、 他の細胞と協調しあっていないってことだよね。 そんな輩には『たまたま脳なんだよ!』って。 となりの細胞に『今回はお前が脳になれよ!』 『俺、毛になるから(笑)』とかって。 っていう考え方はこの社会ではそんなに難しいのかな。

荒廃したぶどう畑を前に自然発生的に生まれてきた僕たちを歓迎しなさい。って事。

”無知をおそれてはいけない。 いつわりの知識をおそれよ。”
ブレーズ・パスカル

追伸)今回のエントリーの写真はクレオパトラです。 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていただろう」もパスカルの言葉だったんですね。 解釈等はwikiで検索してみてください。ライバルだったデカルトは、シュールリアリストのボクから言わせると、眠りの中の無意識の自分が何なのかを証明できていないのでアウトです!