『農村や農業の問題。おいしいワインを飲みながらグッドな音楽と共にこれからみんなと話しあえばイイ。時代のシンボルとして。アンチのシンボルとして。無名の二人が作ったワイナリー』はどうでしょう?

仁城さん

今回の仁城さんのエントリーは大いにボクを悩ませてくれましたね。もうボクのキャパじゃ無理かも。(笑)いやいや。ボクどころかこの世のキャパじゃ無理かもよ。大変な領域に足を踏み入れてしまった。素人なのに、大変な角度で見ちゃった。いつもの癖で少し斜めから見ちゃったら、実は結構酷い事になっていた。そんな気がしています。取り返しがつかないって?そんな事はありません。(笑)

農村の風景はロングショットで見ると、山があり 森があり 畑があり 川があり 池があり そして ぶどう畑があり。
『違和感なく見える 数々の緑色の風景』なのね。

一転。農村を少し斜めからズームで寄って見たらどうよ?出会う人はおじいちゃん、おばあちゃんばかり。里山とは程遠い、野趣溢れる自然と隣り合わせの土地。僕たちが手に入れたぶどう畑は、荒れ果て、仁城さんの言うとおり、農業とは無縁と思われてきた、産業廃棄物のような、ゴミのような、土には還らない数々のゴミ資材。無知ゆえ、ぶどうには絶対禁物の雨対策も行わず、今年のぶどうは半ば壊滅的…

『ボク達 本当に大変な領域に足を踏み込んだのかもよ。』
『ボク達 本当に見てはいけない角度からぶどう畑を見ちゃったのかもよ。』

そしてそれはボク達だけじゃないのかも。ありとあらゆるところで。そして世界で。気づくことのなかった、今まで見ることのなかった、見てはいけない数々のもの。みんなが感じ始めちゃった。そして壊したくなっちゃった。だからいろんな領域でパラダイムシフトが起こってる。そういう時代にボク達は身を寄せて暮らしている。これが21世紀です。

言い換えればよ。『正義感が強いゆえに不真面目な僕達』にとってはチャンスです。『このぶどう畑おかしいよ!』って言える時代なんだもん。『ビニールなんていらねえよ!景観を乱してるんだよ!これから必要な時期にぶどうそのものに紙製の傘をかけるんだよ!』『こんな斜陽な生食ぶどうやめちまってワイナリー作ろうよ!だから醸造免許を取得してよって!』名も無き二人が行政に働きかけて今まさに動き出そうとしている。実に面白い時代に生きていると思います。

『日本でワインをつくるのは難しい。』

おそらくそうでしょう。そしておそらくそうじゃないでしょう。

ワイン作りに王道はないでしょう。いや。すべての領域において王道なんて存在しないんです。

まるでゴダールのように。「映画とは何なのか」を問い続けて彼は映画を作ってる。そしてヌーヴェル・ヴァーグのように。下積み経験無し、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出など、それまでのフランス映画では当たり前だった、映画文法、概念を疑い壊して映画を作っちゃう。

『ぶどうという果物は、ここで作られるべきものなのか』

という仁城さんの問いに答えるなら、それはぶどうを作り続け、ワインを作り続けないとわからないと思います。ヌーヴェル・ヴァーグ同様、前提として、目の前にある、あたかも普通に居座っている既存の文法、概念を疑い壊さないと何も始まらないと思っています。

追伸)写真はご存知、ヌーヴェル・ヴァーグの代表的作品、ゴダールの『勝手にしやがれ』です。50年前のパリの街並みが、人の息づかいが映画から感じ取れます。制作当初はゴダールも意図しなかった!?記録としての50年前のパリ。映画って何なんでしょうね。

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