”無知をおそれてはいけない。 いつわりの知識をおそれよ。 ”この言葉を誰に捧げようか。

Image:ジャン=レオン・ジェローム [Public domain], via Wikimedia Commons

仁城さん

随分と投稿の時間が空いちゃいましたね。 実はココだけの話、前回の仁城さんのエントリーで 『ナゴミカル往復書簡第一部終了』って感が 自分の中で芽生えてしまって。 仁城さん綺麗にまとめちゃうから(笑) そんなこんなで自分の中で第二部が始まりました。

さて。 ジベレリン処理しなくても実がちゃんと 成ることはわかったんだ。 しかもうれしいことに種ありだよね! 触れ上がった房を間引きするする必要もないんだよね。 ビニールをしなくても 病気の心配もなく成長していることがわかったんだよね。 これらの慣行的な農法をやめちまった事で なにがどう変わったの? 慣行的な部分を疑う余地ってあるよね?

この前『たまたま』テレビ点けてたら、 鹿島茂氏と福岡伸一氏が出ていて パスカルっていうフランスの哲学者について 話していた。 こんな番組。 福岡伸一氏って生物学のスンゴイ人なんだけれど、番組でこんなこと言っていたのね。まとめると、

人間誕生のプロセスってその細胞分裂がすべてプログラム化 されているという考え方がある。生まれながらにして脳になる細胞とか、 皮膚になる細胞とか。でも一方では、その場その場で空気を読み合って発生的にできるとする方が本当の自然の見方でしょうと。

ってそんなことを最先端で活躍する人が言っちゃう。 鹿島先生なんかは、「科学が万能じゃない、ということを理解することが科学だ、みたいなことなの」と。 「理性の最後の行動は理由を越えるものが無限に存在することを認めることである」と。

「世界には複雑な要素があまりにも多くて、 全ての因果関係を突き止めることは不可能である」と。 「人間には分からないことがある”という事実を前に、 人間のおごりをいましめたのがパスカルなんです」と。

パスカルだらけになっちゃたけど。(笑) 普段全く観ない『たまたま』観たテレビ。 この5年10年はパスカルでいけると思ったね。

ジベレリン処理をやらない事も、ビニールを張らない事も、 美味しいワイン作りというビジョンがあったというよりかは、 いろんな複合的な要素から『たまたま』そうなっちゃった。 って言う方がしっくりしてます。

『先祖代々脳だから』っていうのは、 他の細胞と協調しあっていないってことだよね。 そんな輩には『たまたま脳なんだよ!』って。 となりの細胞に『今回はお前が脳になれよ!』 『俺、毛になるから(笑)』とかって。 っていう考え方はこの社会ではそんなに難しいのかな。

荒廃したぶどう畑を前に自然発生的に生まれてきた僕たちを歓迎しなさい。って事。

”無知をおそれてはいけない。 いつわりの知識をおそれよ。”
ブレーズ・パスカル

追伸)今回のエントリーの写真はクレオパトラです。 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていただろう」もパスカルの言葉だったんですね。 解釈等はwikiで検索してみてください。ライバルだったデカルトは、シュールリアリストのボクから言わせると、眠りの中の無意識の自分が何なのかを証明できていないのでアウトです!

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