山中史郎様
前略。
このブログを「寺山修司とかわなかのぶひろの往復書簡のような感じで」と、あなたはぼくに提案しました。あれはビデオでしょう?しかも谷川俊太郎より先にかわなかのぶひろという名前を出し、しかもどんな映像だったか覚えていないときた(お互いに)。
「実験映像」とぼくたちの「地域農業」に何の関係があるのでしょうか?「実験映像」という名の何か、「地域農業」という名の何か。そういうことでしょうか?
1960年代に植えられたマスカット・ベリーAの老木が、恐らく一度も怠ることなく毎年そうしてきたように、この春、新しい芽を出しました。
芽を出さない木もあります。枯れてしまったのでしょうか?
少ししか芽を出さない木もあります。どうなるのでしょうか?
一人で、ぼろぼろのぶどう畑にいると途方に暮れます。せめて、笑いながら作業がしたい。笑える農業がしたい。
ひとまず少しだけ「芽かぎ」をしました。元気な芽を残して1本にするのです。
新しい枝は外に向かって伸ばすので、できれば外に向いている芽を残したいのですが、たいてい元気な芽は真上に伸びています。
また、瘤は出来るだけ外に出したくないので、あれば根元に近い方の芽を残したいのですが、たいてい元気な芽は一番先にあります。
悩ましいです。
ところで、井原市がワイン特区として国に承認されると、ぼくらのようなまだ数ヶ月しか経ってないぶどう農家が、自分で栽培したぶどうでワインを作っても警察に捕まることは・・・、いや、井原市でぶどう農家をする限り、ワインの密造は出来なくなるということです。
それは幸せなことでしょうか?
青野のぶどう農家はみんな密造していました。どんな気分だったのでしょうか?一斉に摘発されたりしました。どんな気分だったのでしょうか?
ぼくたちはまじめだから、ワイン特区になる前にワインを密造するはずがありません。だから、そういう気分は一度も味わうことはないでしょう。しかし、そういうぼくたちがぶどうの里青野でまっとうなぶどう農家になれるでしょうか?
疑問符だらけになってしまいました。
仁城亮彦
ワインは「キリストの血」です。
しかし立派な木ですね。
そうです。ワインは舐めるものです。
この木は後期高齢者です。最近友だちになりました。