史郎へ
そうか、映画は実験を失っていたのですね、あの頃すでに。
そのことを視覚化することが実験映画の目的であり、ついにその目的を果たして散って行ったということでしょう。あるいは、実験映画というものがある、そういう前提に立ってしまうことでも。
無いものを有るように見せること。
確かに有ると思って疑わないものを、幻だ!と気づかせること。
ぼくたちが地域農業というとき、きっとどこかで誰かが、農業は昔から地域とともにあるだろうに、あの人たちは何を言っているのだと、思っているはずです。
地域とはふるさとです。人それぞれ思い浮かべるふるさとは違います。
ぼくにとっての青野、母にとっての青野、家内にとっての青野、そして史郎にとっての青野。
寛容な農業をしたいものです。